トップへ

2013年4月13日(土)  平成25年

同じ「学校」
といっても小学校と中学校の文化や習慣の差の大きさを肌で感じた1週間だった。
大人の私でさえ生活に適応することに苦労した。「中一ギャップ」と言われて久しいが、6年生の生活とのギャップは大きいと思う。そして、そのことを小学校、中学校の教師ともにあまり体験していないのではないだろうか。この年になってこの体験ができたことは、今後の私の考え方に拡がりを与えられたと思う。今は、うまくいかないこと、苦しいことが多いが「耐えること」が当面のテーマだと思う。

2013年4月2日(火) 平成25年

1週間妻が義母と旅行。その間、片付けと送別会に明け暮れる。
いよいよ新任校。中学のしきたりに戸惑うこと多し。決定打は、わかっていたものの自分の担当の路線のズレ。
目の前が真っ暗になって帰宅。妻も義母との旅疲れで久々の再会にも関わらず暗かった。
本日は半休を取り、ゆっくりスタート。モーニングワークで昨日の行動記録を書きつつ「まだ初日。ここで落ち込んでいてどうするの。今できることを無理せずやろう。」との思いになる。聖書は嵐に巻き込まれた中で「元気を出しなさい。主が守ってくださる。」と乗員を励ましたパウロの記事だった。目の前真っ暗な時にそこを見て落ち込んでしまう私に大きな励ましとなった。よし、元気を出そう。

2013年3月25日(月) 平成25年

4月からの勤務校へ訪問。学校経営の評価と課題が学力調査、欠席率、不登校率等から示され大変新鮮だった。こうした数的分析の必要性を感じていた。プレゼンに続き校内参観。吹奏楽部の演奏で歓迎される。さすが中学。新設の教室は工事中だった。7年前とは大きな違いを感じた。校長から力強い励ましの言葉をいただく。管理職はやる気にさせることだと確認させられた。


2013年3月24日(日) 平成25年

異動が決まったものの引継ぎ仕事が山ほどあり自分の仕事が遅々として進んでいなかった。休日出勤して少し進めることができた。まだまだ計画的に、効率的に仕事を進めるのが下手な私には今回の急な転勤は厳しかった。現職場の大改革の端緒を開くとともに、人事でも有能な人材に来てもらって新たな一歩を始める年と計画していた。有能な人材はきてくれるものの未経験者。ま、できるところで頑張ってもらおう。任せる、委ねることが私の大きなテーマ。

50代男の中学教師が遅れてきた16人の男子生徒を急かしたところ、暴言と嘲笑の声があがり耐えかねて平手打ちをし、自ら校長に報告した。市が発表すると100件以上のメールや電話があり、9割が教諭の擁護派だった。SSW協会長長俊介氏によると体罰容認論は経験則と親のしつけとの混同によるものだ。荒れ果てた学校での勤務経験のある教師は「体罰でいいことはない。生徒と同じレベルに落ちることになる。」夜回り先生の水谷修さんも「心情的に理解はできるが、自己防衛が必要な場面以外絶対人を殴ってはダメ。」と言う。

2013年3月23日(土) 平成25年

妹を駅に送る。遠くから急遽駆けつけてくれ、献身的に父の介護、母のサポート、母の気持ちの受け止めと代弁をよくしてくれた。私の到底及ばないものを持ちあわせている妹、ありがとう。

初めてデイサービスへ行く父を見送る。今日は初めて車椅子なのでリフト付きだった。入所前に終日寝かせておきたくないので、月曜日も父だけデイサービスのお願いをしてみた。OKだった。ありがたい。初めての一人での利用は、翌日からの夫婦別々の生活の心の準備になってくれるといいと思うが…。
両親が衰え始めた時、私がパニクってアレコレ読んだ老化防止の知識を押し付けた。でも続けてくれたことはあまりなかった。それをまた、非難した。続かなかったのは伝え方の問題だったと気づいたのは最近。遅かったけど、今からできることをしてみよう。

夜、父の様子を見に実家に寄る。食堂に座っていた。結構しっかりしてきたように見える。妹が、食事に加えおやつの時もベッドから連れてきてくれていた。確実にリハビリ効果だと思う。今日は、起き上がりも自力だったとのこと。妹が介助しているが「力はほとんどかかっていない。」と言っていた。 ただ、心配なのは一人で動いて転ぶこと。訪問看護士さんに何度も言われたとのこと。妻がウォーターダンベルを買って来た。父に持たせたら、自分で動かしていた。「すごい」自分で動かしてる。買ってきてくれた妻にも感謝。


2013年3月22日(金) 平成25年

妹がいると場が和む。私には到底できない技だ。よく気づき、よく動く。感情をあらわにすることなく、いつもニコニコしている。言い張ることはせず、いつも相手を気遣う。ありがたい存在だ。少しは見習えたらいいかなと思う。

現在お世話になっているケアマネさんと施設のケアマネさんがきてくれて父と面接、家族からの聞き取りをしてくれた。一気に入所へ話が進む。一番取り残されているのは父。そのケアは妹に託す。26日午後、母と二人で父を送る予定。


2013年3月21日(木) 平成25年

妹、弟が揃い父の当面の処遇について話し合う。
弟は自分のマンションの階下の空室に住み近くのデーサービスに通う提案。妹が、以前の母の気持ちを代弁。ケアをしてくれる人のいるところを希望。ケアマネさんから選択肢にあげられていた老健施設の見学に出かける。「リハビリが目標なので看取りの施設ではない。」とはっきり伝えられた。ただ、実態はなかなかそういっていないのが苦しいようだ。持病の大い父が入所させてもらえるかが問題。ケアマネさんに相談しよう。

昼間よく眠っていたので、夜行ったときに起こして5mほど離れた食堂まで歩かせてみた。父の脇の下に私の首を入れて抱えるようにして立たせ、そのままゆっくり歩かせたところ、ほとんど一人で歩くことができた。まだ歩ける。もう少し続けよう。帰りは妹がやってくれた。腰を痛めないように気をつけてほしい。

朝、前日の記録と簡単な日記、そして聖書1章と手引きを読む。自分の行動を記録することは、自分を振り返るいい機会だ。前日の行動でも思い出せないことはよくある。記憶の衰えはいかんともしがたいが、この記録をすることで少しは脳トレになっているのではないだろうか。また、その時には気づけなかった相手の気持ちや自分の対処のまずさにも気づくことがしばしばだ。また、「感謝の記録」に努めている。これが書けない時は少し危険信号。そして、聖書と手引きで他者視点を教えられる。一人よがりになりがちな私に警告を発してくれたり、落ち込んでいる私に力を与えてもらえる貴重なひと時だ。

2013年3月19日(火) 平成25年

父が起きづらくなった。今、私は何をすればいいのだろう。
父は今、何を思うのか。もう、語ることはほとんどないが。
叱咤激励して歩かせるべきか、本人の希望優先で無理をさせずにおくか。
少し前までは、圧倒的に前者だったが、今は徐々に後者になりつつある。
今日はデーサービスにいけるだろうか。

2013年3月18日(月) 平成25年

父に、日曜集会前、応接間で社長イスで参加することを提案した。
ベッドの上に起こしたら起きることを拒否し寝てしまう。
もうこのまま衰えていくしかないかなと思った。
夕方もう一度訪問した。近々くる弟や妹家族が来るまで元気でいるよう励ました。
知人の訃報で落ち込む父を指摘すると素直に認めていた。
しばらく座って話をしたあと、立つことを促した。
父の脇の下に私の方を入れ抱きかかえて起こそうとした。父はその手で私のズボンを持った。転ぶ不安からだろうが立とうと言う気持ちの表れだと感じた。
父は立った。「立てたね。」何度も立てたことを伝えた。
父もそのことが嬉しかったのか 、「歩いてみるか。」との私の促しに、自分からすり足で少しずつ前に進み始めた。
5メートルほど離れた食堂テーブルの椅子までゆっくりゆっくりで
はあるが歩いた。
気力と体力が続く限りこの歩みを続けることができたらと願う。

2013年3月17日(日) 平成25年

両親と妻と食事に行った。父がどのくらい歩けるかと心配だったが、介助しながら超小刻みの足の運びで、超ゆっくりではあるが歩けた。
1度に歩ける距離は5メートルぐらいだろうか。休みながらではあるが途中にあるソファーで3度ほど休み店内の席につき食事をした。
寿司をほおばっていた。
こちらはまだまだ元気である。歩くのは厳しいかと思っていたから歩けている姿がうれしかった。
1日も長くこの歩く姿を応援したい


2013年3月11日(月) 平成25年

日曜日の集会に行こうとしたら母から電話。父が倒れた。急いで駆けつけると父が階段の下でうずくまっていた。階段を昇ろうとしたものの昇れなかったのか滑ったのか。後の壁にはぶつかった跡に穴があいていた。呼びかけには反応し意識は問題なかった。痛みも特にないという。ベッドまで連れて行き、妻が脈をみたところやや早いものしっかりしてるという。それを聞いて母も安心。妻が脈を取れてよかった。

伊能忠敬は56歳から若い天文学者に入門し西洋天文学を学びその後自ら天文観測を行い、幕府の命を受け測量始める。そこから17年間全国の測量を続け偉業達成。日野原重明先生のスローガンの1つは始めること。「人間は年をとっても本人の心意気次第でそれまで考えつかなかった事をいつでも思いつき始められるんです と言われている。 自分もまた新しいことを始めよう。

2013年3月10日(日) 平成25年
1
週間のご無沙汰でした。日記を書くのを忘れていました。
KIRARIの実践報告会に参加しました。
同僚の発表に感動。 4年生で

粗暴な言動でいらつけば、砂も靴も投げる。

勉強なんてやろうとしない。

指摘するだけでイライラ。泣く、わめく。

「僕のことわかってくれるのは、死んだお祖父ちゃんだけだ。」

「僕はだめだ、バカだ。」と言っていた子がだんだん勉強するようなり、学習は苦手なものの落ち着いた行動となった。

1人の子を救った彼女の実践に聞いていた若手男性医師は涙ぐんでいた。この子が同僚に出会わなかったら不登校、女の子なら

リストカットに走るところだっただろう。  救われた。

先進校の視察を彼女に譲ってよかった。 彼女は自分の実践に生かしてくれた。  あのベテラン女医を絶賛。

若手男性医師を感動させ、涙をこらえながら「非行、リストカットに走ったかもしれない子を救ってくれた。」とコメント。これこそが通級の仕事の真骨頂。


2013
33日(日) 平成25年  LD理解・啓発の研修会開催を目指して

  まだ昨日の研修会の興奮冷めやらずです。午前の教職大学院の発表で印象的だったものが、「支援の遅れる子」抽出尺度策定と支援についての発表です。中学の現職の先生が、現場で中学時代は名前があがらなかったのに、高校や卒業後にトラブル生徒のいることが研究のきっかけだそうです。そして、担任、教科担当、養護教諭で気になる観点が異なるとの結果が出てきたそうです。その支援としてSGE,SSE等が期待されるとのことでした。

小学校での追試をだれかやらないかと期待しています。

 また、そのあと昼食抜きでグランシップの講演会に出かけました。教育ジャーナリストの品川裕香さんとLD指導のベテラン原恵子さんのお話は、LD等通級担当には必須の情報でした。簡単にいえば、日本ではまだLDについての認知が遅れ、診断も支援もされていなくて路頭に迷っている子(人)がたくさんいる、ということでした。イギリスではチャーチル宰相やイギリス人の味覚を変えたという有名シェフなどLDというと「異彩を持っているかも」という認識が普及しているのでその支援もいきわたっているとのことでした。日本がそこに近づくために、自分のできることは何かと考えさせられました。とりあえず、次年度にこの二人の研修会を静岡で開くことを目標としたいと思います。


2013年3月2日(土) 平成25年

  妻に進められ日記を書き始めました。  いつまで続くでしょうか。
  本日、教職大学院の報告会と読み書き障害指導研修会に出席しました。
  充実していました。 帰りは妻が迎えに来てくれました。